平安時代の後期、律令体制が崩壊し、地方の豪族が台頭する社会へと変化していった。
その頃、陶業界では大陸からの轆轤や築窯などの先進技術を導入し、ヤマト政権や律令国家の管理下で大規模に生産されて国に貢納されてきた須恵器生産の終焉をむかえた。
須恵器に携わった陶工たちは燃料不足などの資源が不足することに加えて須恵部・土師部という特権を失ってしまい流通体制が維持できなくなった。高価な須恵器より軽くて丈夫な漆工品や木製品を庶民は実用品として使ったからだ。こうした中で須恵器に携わっていた陶人の一部は生きるために転業を余儀なくされ、陶工として生きると決めた集団は自ら需要先を考えねばならなかった。
武家政権となった鎌倉時代は統一政権の樹立によって長期的な戦乱が減少し、社会秩序が保たれ、農業に従事できるようになったことで、需要が高まっていたのが、「甕・壷・擂鉢」であった。
それらは丈夫さが必要であった。薄手の須恵器のような轆轤制作ではなく、どっしりと堅牢なものが求められた。中世の六古窯をはじめとする古窯址に携わっていた陶工たちは一斉に「甕・壷・擂鉢」を”紐造り叩き”という手法で作るようになったのである。
焼成する窯は須恵器窯を引き継いだ穴窯を築いていくが、その多くは山の中、それも8合目付近にトンネルのような穴を掘った地下式窖窯、その後、溝を掘って半地上式窖窯を築いたのである。
こうした条件下の中で六古窯が稼働した中世にはほとんどの窯で須恵器の先進技術が後退したかのような現象が起こった。それは轆轤を使った均整の取れた薄手の鉢・皿ではなく、仏閣の瓦や土を紐状にした輪積の技法で水甕や種壷、さらに多目的に使われる擂鉢がどの窯で作られていく。

探しあてた土を振って雑物を取り除き、水を加えて土を捏ねて叩くなど、轆轤制作より時間のかかる手法だったが、精魂込めて造られた“壷・甕・擂鉢”であった。これらは須恵器に比べれば無骨だが、大地に根を張った樹木を伐採して燃料にするなど、必要に応じて労を厭わずに自然と共存して制作したのである。
須恵器のように国から注文を受けたのではなく、自らが必要とする生活に密着したやきものであった。それゆえ、端正さはないが、彼らの身の丈にあった生きることに感謝をしながら造られたのであろう。
造りは力強く、大地の土そのままを使ったので石ハゼや思わぬ景色も生まれてくる。この六古窯から生み出された古陶こそ、日本人の陶を愛する心を育てたのではないか。
技術を伝承してくれた須恵器はもとより中国や朝鮮半島の陶磁器のようにシンメトリーではなく、人に見せるような技術を誇るでもない生活の器であった。
日本人の気質なのだろうか、中国では価値をもたなかった珠光青磁や灰被天目、古染付の虫食い、さらに梅華皮や釉の火間、土見せ、くっつきなど、物原に捨てられていたものでも日本人はそれを絶妙の景色としての愛玩してきた。

各地に根をおろした六古窯をはじめとする中世のやきものは必需品ゆえに人の手に触れ、結果的に無釉ゆえに使い手である親から子へ、何気なく代々使われてきた。何百年もの歳月を掛けて変化した土肌に改めて目を凝らしてみると、新鮮な輝きにも似た愛着を感じとることができ、私たちを虜にする土肌の変化に驚く。こうした育て甲斐があるのが“日本のやきもの”であり、日本人にしか理解することが難しい、温かさが感じられるやきものを創り上げたのである。
甕は主として水甕として使ったのであろう。水を貯えると焼締陶の大甕は気化熱を奪う。水を冷やして長持ちさせてくれたのだ。また穀象虫(コクゾウムシ)の繁殖を防いでくれるため、米などの穀物を安全に蓄えることができたと思われる。さらには紺屋の藍甕や甕棺・肥甕としても使われた。壺は葉茶壷、油壷、種壷、種浸し壷、塩壺、時を経て茶道の発展とともに花を飾る花器として、欠かすことのできない水屋甕や水指として茶の湯の世界に登場する。
「擂り粉木(すりこぎ)を食わぬ者はなし」といわれ、どこの家庭でも擂鉢を使って味噌を作り、ゴマ、長芋を擂った。生活に欠かせない必需品であった。
やきものからみた中世とは「壺・甕・擂鉢」の三種を主に造っていた12世紀から、おおよそ茶陶制作のはじまる室町末期の16世紀の中頃までをいい、近世とはその後の桃山時代から明治維新までの時代をいっている。
熟練による手慣れた造作にも美しさは感じられるのは勿論のことだが、“無作為の美”という作り手の息使いまで感じ取れる土肌に出会うことがある。焼成中に意図しない歪みや灰被り、そこに石ハゼがでるのも一つの景色となっている。
これらが風雅な趣になって人々に愛されるほどに、「ワビ・サビ」が生まれてきた。まさに無釉焼締は“唯一無二”のやきものの魅力を私たちに教えてくれるのだ。
薪窯で作品をむき出しにして窯詰すると、強い炎の圧で“火前と火裏”ができ、甕壺などの火前は焼締まって収縮する。焦げや自然釉も呼び込んで火裏より背は低くなる。自然の成り行きだが、これが観るものに“面白さとともに安堵感”さえ与えてくれる。
日本の文化・伝統をもつ地域の活性化を図ることを目的とした日本遺産(Japan Heritage)に、2017年春に文化庁が「日本六古窯」を認定することに決めた。
小山冨士夫が提唱した「日本六古窯」とは、中世から現在まで陶磁器生産がつづいている「常滑・信楽・丹波・備前・瀬戸」の中世古窯址の総称である。
桃山時代、茶の湯とともに隆盛をみた唐津や「志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部」を制作した美濃は含まれていない。
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陶のきた径㉛ 六古窯 につづく
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