2023年10月03日

1  文明の中の“陶”

須恵器 台付長頸瓶 出典:東京国立博物館

古代の中央アジアは“文明のゆりかご”といわれるほど、民族の興亡が繰り返されてきた。

 温暖な気候と大きな河による肥沃な土地に新たな展開がはじまり、独自の偉大な文明文化を変容させてきた。
おしなべて世界の四大文明には、大河の流域に集まってきた人々が炎を知り、土と火をコントロールして創りだした “やきもの” が欠かせないもののようだ。
 ユーフラテス川とともにメソポタミアを形つくるティグリス川。その流域のシリア砂漠で紀元前7000年のシュメール時代の原始農耕地であるテル・サラサート(イラクの北部モースル西)から大量の土器が出土した。テルとは丘のこと、ここから出土されたのは砂漠の土器だから土は荒く厚手の砂混じりの土器だった。

 やがて農耕や牧畜がはじまり、紀元前6500年の新石器時代の層からは紋様の描かれている世界最古の「彩文土器」が発見されている。
 アフリカ最大級のナイル川流域では赤土を使った土器が造られ、紀元前4650年頃の古代エジプト王国・ジェセル王の階段式ピラミット史上初といわれるピラミッドがあり、その地下からは最古のタイルが発見されている。これは陶胎に銅青釉という人工の青緑の釉薬。砂漠地帯での生命の源である“水”、さらに“空の青”をも象徴する聖なる青い石“ラピスラズリーやトルコ石”に成り代わる「青釉」が施されている軟質陶器(ファイアンス・faience)であった。

ジェセル王のピラミッド
ジェセル王の階段式ピラミッド
高さ62m 東西125m、南北109m
出典:Wikipedia

 古代の地中海沿岸(北アフリカ、南ヨーロッパ、西アジア)に広がった大地の粘土は石灰質を含むため、耐火度の低い土である。これに対し東アジアの中国、朝鮮そして日本の粘土は1200度以上にも耐えられ、上釉を施さずとも自然釉を形成した朝鮮半島の新羅土器や我が国の須恵器を生んだ。
 軟質陶器(ファイアンス・faience)は紅褐色の胎土をベースに酸化錫釉が施された白い陶器のことで、9世紀頃からイランで焼かれた「ミナイ手」(ペルシャ語でエナメルを意味する)、「ラスター彩」(luster)、15世紀に地中海に浮かぶマヨルカ島を経由した「マヨルカ焼」(Maiolica)など鮮やかな色彩に彩色されたペルシャ陶器が華開き、16世紀からオランダでは「デルフト陶」(Delfts )というミルク状の錫釉とガラス鉛釉が発達する。


 中国や日本の磁器にあこがれを持ちながらも後れを取っていたヨーロッパでは18世紀、ようやく磁器が開発される。東洋の磁器に憧れていたザクセン(ドイツ)のアウグスト王に監禁されていた錬金術師ベトガーによる磁器の完成させた国立マイセン(1710年)から、フランス王立のセーブル(1759)、デンマークのロイヤルコペンハーゲン(1775年)やハンガリーのヘレンド(1826年)などの磁器、加えてボーンチャイナを完成させたイギリスのウエッジウッド(1759年)など王室御用達の華麗な陶磁器が発達し、日常の食卓を豊かにしていった。



Ⅰー1 肝心かなめの焼締陶

 中国では「政(まつりごと)は陶に聞け」といわれるほど、悠遠なる八〇〇〇年の中国文化のなかに陶磁器は息づいてきた。まさに国の浮沈が、その時代の文明文化が、美術工芸を刺激して新たな技術を創造してきたといえそう。黄河や長江流域では、あらたに導入した窯が“焔に圧を掛ける”焼締陶を生み出す。
 その自然釉から原始青磁釉が開発された。その後、西アジアのガラスや上釉の技術、そして「天然コバルト」がシルクロードを通ってもたらされると、水を得た魚のように中国陶器は一気に開花した。

 豊富な資源と卓越した技術、そして完璧なまでの造形美で日本・朝鮮・安南(ベトナム)・タイそしてヨーロッパなど世界各地に大きな影響を与えていった。
 わが国では、一万年以上という気の遠くなるような歳月を“縄文と弥生”という土器文化がひたすら続いた。ようやく倭国といわれた古墳時代に友好国だった伽耶人や百済人から「陶質土器」の技術が伝授される。自然界にある薪を燃料に、その焔を逃がさず、1100度以上の焔の圧力がかかる、あのハイテクともいえる窯の導入で本格的な焼締陶が完成する。
 これが朝廷の目にとまり、当時の税の一つ「調」として納められる「須恵器」の誕生となった。

須恵器 脚付長頸壺 出典:東京国立博物館
須恵器 脚付長頸壺
愛媛県松山市 津吉古墳群出土 古墳時代
出典:東京国立博物館

 中世の鎌倉時代以後、武家の社会となって農業が奨励されようになると、この須恵器を礎にした六古窯といわれる常滑や信楽、越前、丹波、備前焼などの焼締陶として豊かな生活を作るファンクションを担った。さらにこれらが身近で使われることで「侘・寂」を包含する茶の湯に発展させていく。


 瀬戸では中国の「青磁」や「天目」の技術に倣った上釉のかかった陶器が焼かれるようになり、安土桃山時代に美濃の街道沿いに出現した窯で志野、織部、黄瀬戸が焼かれるようになり、時の茶の湯とともに重用された。

 須恵器からヒントを得た「備前焼」は一週間から数ヶ月間も薪を焚きつづける。また利休が焼かせた「楽焼」はわずか数分間の焼成‥‥という両極端の世界に類をみないやきものを生んだ我が国‥‥

さらには李朝の影響を受けた「唐津」や「萩」、「上野や高取」などの九州の諸窯。京都の華麗な色絵、有田では磁器が焼かれるようになり、日本陶磁器は一気に世界の頂点へとのぼり詰めてきたのである。

直木美佐 黒楽茶盌 銘「波の花」
直木美佐 黒楽茶盌 銘「波の花」

             



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