2023年07月05日

魯山人の「ほしがおか窯」

星岡窯第一回作品展観「犬山焼写」

魯山人は大正15年の秋から暮れにかけて鎌倉山崎に1500坪の広大な土地を借りて住居を建て、京都風の登窯「ほしがおかがま」を築窯した。

魯山人邸から東南に拓ける”倉久保の谷戸”の両側は樹林に囲まれ田圃や湿地帯が拡がる。

「谷戸(やと)」は「谷津(やつ)」「谷地(やち)」ともいわれ、山裾のいたるところから清水が染みでるような特有の土地柄であった。

星岡窯築窯の現場へ行くには鎌倉街道の小袋谷から山崎の神明神社前に向かい、ここから松林に覆われた山を越えなくてはならない。しかも急坂で、狭い切り通しだった。この山は鎌倉石という砂岩の岩場をくりぬいただけの切通しで、大八車も通ることができず、背負って資材を運んだ。

数年後、不便を感じた魯山人はこの岩山を手掘りで十メートルほど掘り下げて、新たな切通しを造らせた。

臥龍峡
臥龍峡(白衣が魯山人)
「魯山人窯芸研究所 星岡窯 鎌倉に生る」
昭和2年10月(星岡茶寮)より

アメ車のような大きな自動車や人力車を通れるように道幅も広くしたこの切通しを魯山人は『臥龍峡』と名づけ、慶雲館の完成間もない昭和3年6月27日、久邇宮殿下を慶雲館に迎えることとした。

魯山人が相模国高座郡御所見村用田(現在の神奈川県藤沢市用田)の伊藤家の屋敷「慶雲閣」を移築できたのは久邇宮邦彦王(くによしおう)の計らいである。

昭和二年二月、なだらかな丘に京風の登窯が完成した。まず大正十四年秋に東山窯にいた川島礼一が主となって築きはじめ、全長は18㍍、幅8.5㍍ほどの三連房の京型登窯とした。

もとより星岡茶寮(ほしがおかさりょう)の食器を焼くための登窯で、魯山人は窯の名を『星岡窯』(ほしがおかがま)と名付けた。

星岡窯は本焼窯のほかに素焼窯、上絵窯があり、燃料はすべて赤松である。(のちに瀬戸風の登窯と戦後には備前窯を築いた。)

この年の五月には窯の雨除けとなる屋根とともに本焼に必要な匣鉢など窯道具置場(22坪)を建て、制作する仕事場と職人の住居33坪を建てた。この三分の一を制作場として使用、他は研究員という弟子たちの住居に充てられた。

昭和2年7月、魯山人の仮寓(建坪13坪)を建築。ここは魯山人が設計して「夢境庵」と名付けた茶室でもある。千利休の孫・千宗旦によってつくられた裏千家の茶室「又隠」を手本とした茶室で、四畳半本勝手、三畳控えの間、洞庫口水屋、八畳間からなる。床柱は黒柿、長押(なげし)は南天の樹を用いた数寄屋風である。茶室は躙り口際に貴人口が設けられ、出入りを容易にしている。

『星岡窯第一回作品展観』図録表紙
『星岡窯第一回作品展観』図録表紙


昭和二年(12/7~9)星岡茶寮階下広間にて『星岡窯第一回作品展観』開催した。

初窯の作品を含めて星岡窯で焼かれた作品を初めて公に発表した展示会で、図録も星岡茶寮から発行している。

魯山人展としては習作展を含んで第6回目の展示会にあたる。

星岡窯第一回作品展観「犬山焼写
星岡窯第一回作品展観「染付深向付」


絵瀬戸風の陶額(一尺四分)、赤織部風の長方皿(長さ七寸)や黄瀬戸窯変花瓶(高さ七寸六分)の耳付壺、高さ5寸の黄瀬戸矢筈水指。黄瀬戸の四方向付。犬山焼写の雲錦鉢、染付の筒向付や捻り盃なども展示した。

1925(大正14年)、東京赤坂山王台にて「星岡茶寮」(ホシガオカサリョウ)を開業。

昭和2年、鎌倉山崎にて魯山人窯芸研究所『星岡窯』(ホシガオカガマ・星ヶ岡窯)を築窯。

昭和5年、星岡茶寮の機関紙『星岡』(ホシガオカ)を月刊で出版する。

魯山人の弟子であった吉田耕三氏の伝記では当然のごとくルビはふられていない。

のちの白崎伝、山田和伝では、

星岡窯を「セイコウヨウ」とされ、機関紙「星岡」を「セイコウ」とルビがふられているが、これらは明らかな間違いである。

当初、魯山人を知る関係者は「星ヶ岡窯は、ほしがおか がま、だよ。小説だから名を変えたのだろう」と意に介さなかったが、

その後の出版物などにも「セイコウヨウ」となっているので気になった。

星岡窯は「星岡ヶ窯」で、「ホシガオカガマ」と魯山人が名づけたものである。

 下記は荒川豊蔵が美濃で志野筍陶片を発掘するきっかけを作った展示会の新聞記事である。

「星ケ岡窯」とは「ホシガオカガマ」としか読めない。

昭和5年4月6日から10日、名古屋松坂屋6階で『魯山人陶磁器展観』(星ケ岡窯主作陶展)が開催されると、4月1日付の「新愛知」(中日新聞の前身)の朝刊に記事である。

魯山人作陶展

 鎌倉星ヶ岡窯主北大路魯山人氏の作陶展が六日から名古屋松坂屋で開かれる。山人は京都出身で繪に書に篆刻行くところ可ならざるはなく殊に作陶の手腕に至っては既に世の定評がある、今回の出陳點數は約百五十點であるが朝鮮の土、朝鮮の釉でよく古陶磁の髄を穿ち簡素、幽去に名匠の風格を衿持しまた奇趣奔逸(きしゅはんいつ)にその自由な創意がうかがはれ、刷毛目、繪刷毛目付、信楽、青磁、三島手、染繪瀬戸のそれぞれにその鬼才は縦横に發揮されている、愛陶家、茶人らの垂涎措く能はざるものが多からう。」

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