2023年10月29日

“茶・禅・陶”に対峙する 田中佐次郎

陶魂・佐次郎の窯焚 山瀬窯2023年

唐津山瀬の茶碗やぐい呑を愛用している‥‥

この縮緬高台にふれる時、田中佐次郎先生との出会いを鮮明に想い起こす。

私は小さな店を出してから、東京でもほとんど紹介されていなかった〝古唐津を追及する陶芸家“を探す旅に出ていた。「唐津焼は売れねーよ。わざわざ唐津に行ったって、商売にならねーよ」と同業者の兄から言われたが、私は商売をしながら、「商売」という言葉に拒否反応を示していた。

無名でもよい、名利に囚われず、自ら山野を巡って土を探し、窯を造り、薪割りをする、陶芸材料屋を頼らず、自然から享受することに喜びを感じている陶芸家と手を携えて語り合える仲間を探したかったからである。

桃山時代の古唐津には素晴らしいものが多いが、50年ほど前の唐津焼は土産物屋さんで販売するような規格品ばかり、志野・織部の美濃と比べると唐津は寂しいかぎり、であった。

田中佐次郎 井戸茶碗「佐次郎井戸」
田中佐次郎 井戸茶碗「佐次郎井戸」 
田中佐次郎 井戸茶碗「佐次郎井戸
「佐次郎井戸」見込・高台

古唐津にまさるとも劣らない作品を造る陶芸家を探す、そんな期待を持って、独立してまもない田中佐次郎先生を訪ねた。

1978年(昭和53)、私は佐次郎先生をお訪ねするため博多駅から何度か乗り換えて筑肥線の終点・東唐津駅の一番ホームに降りた。名勝の虹の松原を突き抜けた、さながら最果ての終着駅を感じさせる旧東唐津駅である。ここは松浦川の河口に遮られての終着駅なのだろう。行き止まりの駅だから伊万里方面からの列車などの引き込み線が何本もあり、名物の松露饅頭、松浦漬、玄海漬などのモノクロ広告看板が目についた。

もう45年前のことである。(現在、駅の跡地には大きなHotel SAGA-KARATSUが建っている)。駅前には小さな坂本屋という旅館があったが、その先に唐津城の天守閣、さらに九電発電所の煙突が異様に見えた。唐津の街中に行くには徒歩で舞鶴橋を渡るが、その日は昭和タクシーに乗り込んで、「半田の浄楽寺へ」と告げた。半田川沿いに長閑な田園を走り、佐次郎先生の窯をお訪ねした。今思えばこの道を進んで登れば山瀬へ行く道でもあった。

田中佐次郎 叩き朝鮮唐津水指(初期)
田中佐次郎 叩き朝鮮唐津水指(初期)

瓦屋根の似合うご自宅の横には立派な連房式登窯、その手前には仕事場と作品が陳列されている屋舎があった。

大きな座卓の向こう側で精悍なお顔立ちとは裏腹に終始微笑む若き日の佐次郎先生‥‥、加藤唐九郎、小山冨士夫先生のことなどお話しするうちに心身ともに先生の意気が逞しく思えた。

拝見した唐津作品の特徴は際立つ造形も然ることながら、土と炎が融合した滋味深い斑唐津をはじめとして、異彩を放つ朝鮮唐津、そして含蓄に富む絵唐津などに烈しい個性を感じた。先生のお人柄にも惚れて、数年後の1980年の春、初個展を開催させていただき、その度ごとに増え続けた熱心な愛好家のおかげで50回を優に超える展示会をお願いしてきた。

先日、佐次郎先生が “窮亀なご恩”に準えて『報謝の茶会』をされた。

床には虚堂智愚の墨跡が掛けられ《茶禅一致》を旨とする先生らしく流石だ、と思った。虚堂は中国南宋代の著名な禅僧だが、何といって茶道の発祥といわれる天目山を背にしたあの山深い名刹・径山興聖万寿禅寺(五山第一位)の住持となった高僧で、弟子には入宋した南浦紹明もおり、大徳寺の“禅と茶道”が密接な関係をもって発展させる源たる高僧であった。

佐次郎先生の“茶・禅・陶”に対峙する直向きな心が、いつも私たちの意表をつく新作に、むろん今年も投射していると信じている。

田中佐次郎 唐津茶碗
田中佐次郎 唐津茶碗
温座という登窯の不安定な炎に包まれた景色が面白い
田中佐次郎 唐津茶碗 高台



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