2024年03月09日

13 「高麗青磁」の秘密

康津 高麗青磁博物館

4世紀の朝鮮半島では高句麗を筆頭に百済、新羅の三国(4~7世紀)が勢力を競いあっていた。このころ仏教とともに仏殿に献茶する茶が伝わった。

中国唐より戻ってきた慈蔵律師が、慶尚南道梁山の通度寺に茶の苗を植えたと『通度寺の寺誌』に記録されている。この時代は団茶から発展した研膏茶を茶磨で挽いた碾茶法で飲んだことで茶碗が必要となった。

高句麗・百済・新羅による三国時代から新羅が統一した朝鮮半島では陶質土器(炻器)が造られ、高麗青磁が完成するまで無釉焼締の時代だった。

935年、王建(ワンゴン)が建国した高麗時代になると高麗青磁の梅瓶の祖型になるような瓶も無釉焼締で自然釉の降りかかったものを見かけるが、俗に陶質土器の代表ともいう新羅土器のような硬さは観られない。「越州窯青磁」の技術を取り入れ、この陶質土器の生地を用いて高麗青磁を完成させている。

青磁透彫蓮花七宝文香炉
青磁透彫蓮花七宝文香炉
韓国国立中央博物館蔵(Wikipedia)

これまでに高麗青磁が焼成された窯が約40の遺跡に100 基以上が発見されている。高麗の首都だった開京(開城)付近はもとより、半島西側の元百済の地に多くの高麗青磁古窯址があった。

中国の唐代以降、『秘色青磁』を生み出した浙江省の越州窯青磁などの技術に倣って朝鮮半島西部では高麗時代に高麗青磁が完成する。中国の秘色に対して12世紀前半に完成した粉青色の青磁を『翡色青磁』と呼んでいる。翡色青磁は高麗青磁の中で十分の一の確立、作ることが困難とされてきたのだ。

ちなみに翡翠の雄を「」、雌を「翠」という。翡翠の頭から背にかけての羽の色は美しく光沢がある青緑の翡翠色。また「翡翠」とよばれる深緑半透明の鉱物があり、中国では精細な彫刻を施して珍重されている。   

故宮博物院の「翠玉白菜」
故宮博物院の「翠玉白菜」(Wikipedia)

中国北方と同じように朝鮮半島では背の高い木は少なく、その木を大事にするため、枝を打って燃料にし、豆や雑草類の珪酸分の多いものや椎の木の灰を上釉にしていく。

高麗青磁が焼かれたのは北朝鮮の西海道といわれた黄海道白川(ペクチョン)郡、北西部の京畿道始興芳山(シフンパンサン)洞、龍仁西里(ヨンインソリ)、驪州(ヨンジュ)安金里など開城付近の京畿道一帯が高麗青磁発祥地といわれていたが、近年、韓国南西部の全羅北道鎮安郡聖寿面道通里中坪で高麗青磁窯(全長21m)が発掘されている。

百済の熊津時代の首都でもあった公州。その近郊に忠清南道公州佳橋里(カギョリ)があり、全羅南道務安郡咸平の北にある全羅北道扶安郡の柳川里(ユチョンリ)には、高麗青磁を焼いた官窯の跡がある。これら扶安郡には柳川里と鎮西里の古窯址を合わせると70ヶ所以上あって、のちに述べる康津(カンジン)に次ぐ高麗青磁の大産地であった。柳川里古窯址から「孝」銘の陶片や「官」銘の瓦などが出土しており、ここ柳川初等学校跡地に「扶安青磁博物館」が2011年4月にオープン。200余点の高麗青磁が展示されている。

十二世紀中葉の18代高麗王・毅宗(ウィジョン・即位1147~1170)は高麗史上もっとも華やかな時代を創った。1157年、官窯で造らせた高麗青磁の屋根瓦を葺いた別亭「養怡亭」(よういてい)を王宮の東隣りに建てた超豪華な東屋だった。当時、高麗青磁の瓦で屋根を葺くことは最高の贅沢だったというが、全羅南道康津沙堂里(サダンニ)窯や北朝鮮の開城満月台(マヌォルテ)にある高麗宮殿跡から同一の青磁瓦片が出土している。(青磁軒平瓦 12世紀中頃 国立中央博物館蔵)

軒先瓦には牡丹が陽刻され、唐草文様が陽刻された平瓦という華やかで透明感のある品格ある翡翠色の高麗青磁瓦で葺かれた養怡亭で「茶礼」など贅を尽くしたもてなしの儀式が行われたに違いない。

この毅宗の時代から石間朱(ソッカジュ・日本でいう鬼板)という鉄絵具で紋様を描いて白土、黒土の象嵌を施してから青磁釉をかけて装飾性の富んだ、みごとな高麗独特の青磁をつくりだした。

ところが、毅宗は政治には関心を示さず、遊戯を楽しんで宦官を寵愛し、文臣を優遇して武臣を虐げたため、業を煮やした武臣たちは毅宗と太子を島流しにするという文臣たちを虐殺する「庚寅の乱」を起こした。武臣たちは毅宗の弟の明宗を王位に就けた。これ以後、高麗はモンゴルの侵攻を受けるまでの約100年にわたって武臣たちが政治の実権を握った「武臣政権」(武人時代)が開始されることとなる。

柳川里と同じ全羅南道の南に位置する康津(カンジン) 郡大口面沙堂里(サダンリ)も高麗青磁の官窯として高麗一の規模を誇っていた。大口面にある龍雲里に75ヶ所、桂栗里に59ヶ所、高麗中期から後期まで青磁生産の中心となった沙堂里に43ヶ所、水洞里に6ヶ所、そして七良面三興里の5ヶ所まで合計188ヶ所の青磁窯址が集団的に分布されていた。そのことが、1992年、海剛陶磁美術館によって確認された。康津では韓国で現存する青磁窯の約50%を占めており、10世紀から500年間「高麗青磁」を生産していた康津郡大口面一帯にある古窯址は総面積67万1.326㎡であった。

広範囲に窯が造られたと考えられ、これだけの古窯址があるということは燃料に使う薪を消費すれば、近隣の森林のいくつかは消滅してしまったのは当然のことだろう。

康津高麗青磁博物館の前を牛車が通る

「扶安青磁博物館」に先駆けて1997年にオープンした「康津高麗青磁博物館」の展示会場は明るく広々とした展示スペースがいくつかあり、日本人女性の学芸員が話しかけてくれた。康津で最初に築かれたとされる龍雲里にあった半地下式龍窯を移設し、別棟の建物中に展示保存されていた。この龍窯は13度の傾斜で床面は隔壁を伴わない無段のスロープ、作品には匣鉢を使用し、固定するためには“馬の爪”のようなものを使ったのだろうか。

ソウルにある国立中央博物館は2009年、韓国博物館開館100周年を記念し、博物館の建物が映る池ということで名づけられた鏡池(コウルモッ)に高麗青磁瓦屋根の東屋を復元している。

中国では後漢(25年から220年)の時代に、浙江省の上林湖周辺に上虞(じょうぐ)窯をはじめ寧波(ねいは)窯、余姚(よよう)窯などの青磁が生産され始めた。晩唐・五代の上林湖畔にある古窯址からはM字(漏斗)型の匣鉢が出土し、その匣鉢に青磁の碗が窯詰めされていたが、なんと目痕の存在を無くす高度な焼成技術を誇っていた。こうして良質な秘色(ひそく)青磁が焼かれたのだろう。

上林湖の龍窯址
全長約42m(Wikipedia)

高麗青磁に影響を与えたと思われる「越州窯青磁」を焼いた古窯址数か所を1978年に訪ねた。

越が都をおいた紹興市から30キロほど行った上虞区石浦村にある小仙呯窯では、すでに1160度から1300度以上の高温(1200~1310度)で焼いていたことがわかった。民家のある村落から数百m山間に入った雑草に覆われた丘陵にある古窯址には散乱する細かな陶片(硬く焼けた印花や叩き文のある初期の青磁)と古窯址を表す石碑があった。古窯址へ立ち入る人への警告だろうか、どの古窯址にも「古窯址の陶片を持ちだすのは犯罪である」とあった。

この越州窯青磁の直接的技術移入によって高麗青磁は朝鮮半島中西部の塼(煉瓦)での築窯がなされたと考えられている。時は高麗時代の第11代文宗(ムンジョン在位:1046年~83年)の頃、社会が安定し文化が著しく発展した時であった。

中国浙江省杭州東南にある寧波市慈渓上林湖の宋代越州窯青磁から技術移入により、朝鮮半島西海岸一帯で青磁窯が操業したされた考えられている。それは数ある「越州上林湖窯」の中で今に残る「荷花芯窯」が塼(煉瓦)で造られた窯で、京幾道始興芳山洞(シフンパンサンドン)の初期青磁窯と類似していたからだ。

京幾道始興市「芳山洞古窯址」は首都ソウルの都心部から30キロメートルにある京幾湾西海岸近くにある民窯で、「高麗白瓷」も焼いている。高麗青磁古窯址はほかに韓国併合時代に京城(ソウル)に近い温泉地(白川温泉)として賑わったという北朝鮮の黄海南道白川(ペチョン)郡圓山(ウォンサン)里の古窯址でも高麗初期に稼働しており、ここもまた黄海の京幾湾を臨んでいる。

11世紀には南西部の「務安柳川里」や「康津沙堂里」では塼(煉瓦)窯から土築窯へ高麗青磁の生産主体が移行した。これら初期高麗青磁は越州青磁の技術導入をして無文青磁(初期には黄緑の青磁が多い)から次第に美しく澄んだ青緑色の「青磁」へと発展させていく。

陽刻や陰刻された繊細な連弁文などの青磁が加わり、12世紀には中国宋代の耀州窯や汝窯の青磁に刺激を受けながらも、高麗独自の器形や装飾となり、深い青みを帯びた粉青色の美しい青磁が焼かれ、翡翠の様な釉調から「翡色青磁」と呼ばれた。さらに白や黒、赤の土を象嵌した寶相唐草文様や雲鶴文、蝶牡丹文などの「象嵌青磁」を生みだす。

 日本の世襲窯や藩窯でもみられるように、朝鮮でも焼物の技術は一子相伝で、とくに官窯『高麗青磁』の技術は「秘伝中の秘伝」であり、この『高麗青磁』の秘密を守るために、とても神経質なことを”高麗青磁馬鹿”と現地では呼ぶほど、技術がもれることを恐れて、秘密を守ったといわれている。

高麗時代は高麗青磁のみならず金属活字など高度な文化が育まれた時代だった。現在、韓国を(KOREA)と呼んでいるが、この高麗が語源である。

 13世紀以降、モンゴルの侵攻などがあって高麗青磁の質が低下し、李朝初期には務安、鶏龍山などに代表される「粉青沙器」に交替していった。

栗枌板


魯山人「大雅堂」「美食倶楽部」発祥の地

魯卿あん Rokeian』

〒104-0031 東京都中央区京橋2-9-9

TEL: 03-6228-7704

営業時間:11:00~18:00(日・祭日休)



無二の個性豊かな陶芸家とともに歩む

しぶや黒田陶苑』 

〒150-0002 渋谷区渋谷1-16-14 メトロプラザ1F

TEL: 03- 3499-3225