2026年01月24日

六古窯 『常滑』その2 ‥‥ 陶のきた径㉞ 

石をもった三筋壷18.1×24.3

 山茶碗三筋壷

常滑焼は13世紀の中ごろから山茶碗を主に、轆轤で成形をした山皿、片口のついた捏鉢(のちに筋目をつけた擂鉢)などが“重ね焼き”で焼かれるようになった。

この技術は猿投古窯の系譜を引いている。そのため初期のものほど薄手に作られ、端正で均衡のとれた形をしている。「山茶碗」とは丘陵地の斜面などに築かれた窖窯跡のある丘陵(山)で大量に採取されたことから、また、とともに発見された小皿は「山皿」という。

山茶碗と山皿(左:東濃と右:尾張型)
瀬戸蔵ミュージアム蔵(Wikipedia)

古いものほど自然釉が掛かり、素地も固く焼きしまっているが、時代が下がるにつれて、粗雑なつくりになり、自然釉も少なくなる傾向がある。山茶碗は猿投、常滑、瀬戸、美濃、渥美・遠江など東海地方の窖窯で生産された。

小型の壺や甕も焼かれている。猿投や瀬戸と同じように中国宋代の白磁や青磁などに倣った入念なつくりが見られるが、猿投や瀬戸のように施釉陶ではなく、常滑ではあくまでも無釉焼締陶であった。平安末期の仏教信仰の広まりをみせる。

仏教において万物は、物質の堅さ(地)、湿り気(水)、熱さ(火)、動き(風)を指す4つの基礎的要素から構成されている四大元素があるという。

この12世紀前半の平安時代末から13世紀頃の鎌倉時代に常滑をを中心に焼かれた壺に肩、胴、腰に三本の筋が彫られている高さ25㎝前後の細長い胴の「三筋壺」がある。下から地・水・火・風を表し、仏教の「五大」となれば、三筋壺の肩から口縁までを「空」と見立てている。五輪塔は上から宝珠形を(空)、半円形(風)、三角形の(火)、円形が(水)、方形を(地)で構成され、宇宙の調和や人体構造を指しているというのだ。

それゆえ、経塚壺と三筋壺は入念作、それは轆轤ではなく紐造りによって陶工が一生懸命に肉薄に造った。古常滑の代表的な名品が多い三筋壺の命名は古常滑研究の重鎮・沢田由治である。

石を持った常滑三筋壺(径18.1 高24.3㎝)

 常滑の穴窯は知多半島の尾根づたいに下の焚き口(入口)から上の煙り出し(出口)まで掘ってトンネルのように築いている。知多半島の地層は頁岩と珪砂で出来ていてこの地層は焼くことで膨脹し、自然に壊れないように焼き付くという、窖窯築窯としてはとても都合のよい地層だった。

しかし、常滑の窖窯は一度壊れると、補修したりせず、壊れる度に近くの空地に新しい窖窯を築いていった。そのゆえ、常滑の丘陵地帯は窯跡だらけ、分焔柱も残っており、猿投系統の窯であることを物語り、窯跡は実に3000基以上を数えている。中には窯焚後、何らかのアクシデントがあったのか、窯出しの終えていない穴窯も発見されたことがあり、見つけた人は「宝の山を掘り当てたみたい」と古陶ファンには夢のような話もある。

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全長16mの七曲古窯址 分炎柱が見える(Wikipedia)

 時代がさがると大きい経塚壺が小さい骨壺にかわる。その理由として、火葬の習慣は平安期から始まっているが、最初は亡くなった方の全ての骨をおさめたので大きい壺が必要だったが、鎌倉期には武家社会となり、亡くなる人が多くなったのだろう、骨壺の需要?もふえて、特に重要な骨だけを骨壺に収める傾向が強まり、骨壺は次第に小型化し、茶の湯に使う水指程度のサイズの小壺が主流となった。

常滑を象徴する朝顔型の大きな甕は12世紀はじめ頃から焼かれはじめた。平安末の特徴は垂直に立ち上がった口縁部が外に開くように折り返され、肩が張り出し、胴が締まっている古常滑の大甕は力強い、やや赤褐色に焼けたその多くは大型貯蔵容器の甕や経塚壺として造られたものだ。

平安時代の常滑壺
(重要文化財・個人蔵)
(Wikipedia)

経塚壺とは山岳仏教の天台宗(最澄)の経典(法華経八巻)を長く後世に伝えるために、青銅製の経筒にいれて、さらに写経を納めた壺。これを平安時代の最高権力者・藤原道長(966年~1027年)が、大和金峰山に造営した金峰山経塚に埋めたので全国各地で流行したとされている。 平安時代の優雅な薄造りから一変し、はっきりとした無骨な印象を与える頑丈な造りのデザインとなった。この変化は、武士の生活や価値観の変化を反映したのであろう。

さらに、鎌倉時代以降、武士の士気を高める酒の需要もふえ、酒醸造業者からの注文による2、3石入りの大甕が造られている。多くは東日本からの注文で、鎌倉のみで37000余の壺、甕類が酒の醸造や貯蔵のために運ばれたという。後嵯峨上皇の皇子である宗尊親王が鎌倉幕府6代将軍に就任し、執権の北条時頼の政治的手腕が、幕府のさらなる安定を促す要因となった建長4年(1252)のことである。

骨壺やご神体を納める三筋壺は宗教用品として鎌倉、室町を通じて焼かれていたが平安時代の力強い三本の筋はだんだん乱れて、室町ではあまり見かけなくなる。

 

次回:陶のきた径㉟ 六古窯 『常滑』その3 

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