数日前、とても悲しい知らせを受けました。
長岡絢美さんが数年前から体調を崩され、この8月12日に亡くなられました。
1946年京都の洛北に生まれ、単身で上京して石神井高校卒業後、お茶の水デザイン学院在学中に高取焼、京都蛇ヶ谷で修業されて神奈川県藤沢市にて築窯して独立。高等学校の美術科教員として勤務しつつ、磁土による染付作品の制作を継続され、1986年、二宮に築窯して本格的に作品を発表されるようになった。

あたたかい磁器を造りたいと、磁土を手びねりして呉須の濃淡で描く作品が好きだった。
庭にルーペを持ち出し、庭の花卉を求めてくる昆虫を観察する。
自然と調和して暮らし、旅行や散歩が大好き。二ノ宮の海から山までを知り尽くしてると得意げにいっていた。
そんな自然への慈しみの眼差しをもって心象風景を器に寫しだす。それは時に絢美さんの夢幻の情景として作品に登場させていた。 すべてを独りでこなし、手間暇を惜しまず陶房に籠って作陶されていた。作品数は少ないので2.3年に一度のペースでしぶや黒田陶苑で個展をさせていただいていた。
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生れ育った京都洛北‥‥その地を訪れると、賀茂川上流に架かる北大路橋の下の流れに浸かり、手ぬぐいを思いっきり広げてメダカを追いかけ、泳いだ幼少期の思い出が蘇るという。長岡家のお嬢様だが、活発なお転婆娘だった。5月には家の前にある北大路通りを葵祭の行列が毎年通り抜け、7月の祇園祭、8月の五山送り火「大文字」等々、そんな子供の頃の思い出は深く体に染み込んでいる。さらに比叡山の四季や、草木の移り変わりをいち早く感じとった絢美さんは子どもの頃から絵を描くことも好きだった。

中学校在学中に上京、お茶の水デザイン学院のアトリエに通っている時、急に陶芸家を目指したくなり、京都蛇ヶ谷の窯元へ。20歳時、高取焼窯元にて修業。翌年には京蛇ヶ谷で修業した長岡絢美は高等学校の美術科教員として勤務しつつ、25歳で神奈川県藤沢市で独立して主に轆轤成型の作品を制作していた。
1986年、湘南二宮の丘陵地帯が広がる高台に自ら設計して住居兼工房を建てた。
それは高原の別荘地を思わせる切妻屋根に漆喰の白壁、ダークブラウンの柱・梁を配した洒落た住まい。ここの一角で独創的な染付の器を制作していた。だが、轆轤作品は軽いが、手びねり作品は重かった。どうにかならぬか?と思った。提案してみた。
玄関を抜けると、高い天井と庭に面した大きな窓が開放的なリビング空間、壁には天地2m以上もある棟方志功揮毫の「玄関」が掛けられていた。広間には木目の美しい分厚く大きなテーブルがデンと置かれ来訪者を快く迎えてくれる。
福岡の高取や京都蛇ヶ谷という伝統的な窯元で本格的な修業して、轆轤制作するも、あえて轆轤成形せず、手捻りした器も創作している。またそこに描かれる染付画には手間暇を惜しまない。下絵なしで絵筆が自在に動く、そこには遊び心があるのだろう。スケッチをするが、ありきたりの描写ではないから、その作品構成は楽しく洒落ている。使い手は長岡の描く架空の生き物といつの間にか友達となり、会話が弾んでしまう。

「紀元前、紀元後の人々が創ったすべてのものと、すべての自然(宇宙)が魅力的でキラキラしている。
幼い時から好きだった絵を伸びやかに描く。古代壁画などをモチーフにしたものも組み入れ、何かイメージが湧いた時、そのイメージに近づく為にはどう表現するか、その過程が一番楽しい」という。 ゼロから他人の手を借りず一人ですべてが出来る陶芸を生業とし、温かく優しく日々の生活に溶け込む器をと願って、呉須の濃淡で描かれた蓋物も自然の歪みが豊な表情を創りあげた。

※長岡絢美さんのブログ、次回を楽しみにされてください。 長岡絢美②‥‥独尊を貫く陶芸家Ⅺ






