2024年01月25日

島村光 2 古陶との共演

島村光と古陶の共演展

備前焼を愛する黒住教6代教主・黒住宗晴は吉備の中山・神道山にある黒住教大教殿の大改修をされた。その大屋根に備前焼の千木鰹木棟瓦を信者でもある藤原建に制作を依頼した。藤原建は桃山備前を焼いた大窯を参考に新たに築き、制作にあたった。大教殿は昭和49年(1974)に竣工したが、この制作時の藤原建の苦労を知っている私も、いつかはその威容を観たいと思っていた。

備前焼の千木鰹木棟瓦

2015年の4月、はじめて本部の大教殿に伺った。見上げれば緋色が美しい千木や鰹木が大教殿に荘厳なる迫力をもたらしており、しばし感無量だった。


「島村光と古陶の共演展」

当苑で初個展を開催されてから親交させていただいている島村光が平成27年2月16日に2014年度 「岡山県文化奨励賞」 を受賞された。
岡山市北区尾上神道山にある黒住教大教殿で「島村光と古陶の共演展」が開催された。4月18日(土)、私も「古陶の共演展」の奉告式に出席させていただくことになった。大教殿の大屋根を飾る建さんの作品を観る機会が訪れた。

島村光奉告式の後、宝物館での「お直会」(おならいかい)での立食パーティーがあり、島村光作品と古陶の鑑賞会「島村光と古陶の共演展」‥‥会場:黒住教宝物館 となり、会場は和気藹々、島村先生の人柄そのもののような会となった。

島村光と古陶の共演展
島村光と古陶の共演展

島村光の言葉である。

― 忘れもの ―

“古いものはええなぁ”と人は言う。そんな時、私はいつも“古いものはええんです”と答えてしまう。
言うまでもなく古いものには時代を超えて生き続けてきた底知れぬ力があり、私はそんな力に圧倒され言葉を失ってしまう。一体その力は何に根ざしているのだろうか。遠い昔にあって今は無いもの。そんなー忘れもの―を捜しにタイムスリップするかのような 古陶との共演

身に余ることですが、この度 宝物館所蔵品の中より選ばせていただきました。縄文から室町時代までの作品22点と私。これまで作って参りました35点を合わせて「島村光と古陶の共演」展を開催させていただくことになりました。
 このような展示の機会と同時に大きな刺激、大きな課題、そして大きな楽しみを頂きましたことを心から感謝いたします。
島村光

島村先生と会場で

黒住教の立教200年を記念して
変わらざるものの尊さ==「島村光と古陶の共演」展
黒住教宝物館:岡山県岡山市北区尾上神道山 

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李朝白瓷壷と島村光作品

変わらざるものの尊さ
==「島村光と古陶の共演」展に寄せて==

 備前焼といえば、華麗な桃山風のまた豪快な鎌倉風が一世を風靡していましたが、こうした先輩方の努力の上に、最近は前衛的ともいえる抽象化した備前焼が次々と目に付くようになってきました。
 そういう中で、かつて一時代を画した細工物はしばらく影を潜めていましたが、この分野に名のごとく光を当てたのが島村光氏です。先人の細工物に勝るとも劣らぬものを造りながら、今は抽象化した作品、また逆に実物と見紛うばかりのものを手びねりで造り上げて焼成しています。それは、卓抜した技術があってこそできることですが、その技に流されることなく、それどころか技を凌駕して余りある精神の深さ高さが作品に滲み出ていて、高貴なともいえる風情を醸しています。このことは、氏が独自の祈りの世界を持っているからできることだと拝察していることです。

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島村光 泡瓶

 私は、かねて古陶に魅力を感じていました。優れた技を封じ込めたような壺、すり鉢、山茶碗等、作り手の作為の無さ、てらいの無いのに惹かれるのですが、いずれにも祈りが込められているように感じていました。事実、はるか昔から今日に生き続けてきたこれらの作品は、まさに陶の匠の祈りによって天地のいのちが注ぎ込まれているからだと思います。
 この度の「島村光と古陶の共演」展では、祈りを元とした作品が共通に持つ、時空を超えた変わらざるものの尊さを味わわせてもらえるものと期待しています。

黒住教教主 黒住宗晴

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古備前窯道具の陶板と島村光作「登窯香炉」

「島村光と古陶の共演展」は平成27年2月15日(日)より5月31日(日)まで開催された。

※すべての写真撮影:黒田草臣