1977年のことである。
戦後の十大総合商社に数えられていた日本の大手総合商社・安宅産業株式会社の経営破綻が報じられた。カナダにおける石油精製プロジェクトの失敗に端を発し、第一次石油ショックによる原油価格の高騰などで資金繰りが悪化して石油代金が回収出来ず破産宣告した。
安宅産業は1909年創業、1955年に安宅英一が会長に就任して以後、1977年に経営破綻するまで安宅家の社費の私物化があり、専務の英一の長男がクラシクカー10台所有するなど多額の交際費を浪費、加えて1951年から25年かけて英一の美術品購入があった。英一は朝鮮半島の新羅から高麗、李朝までを核に961件の膨大な東洋陶磁を収集していた。これが “安宅コレクション”といった。
破綻後、翌1976年には日本最大のコレクションとなる速水御舟作品(「炎舞」など106点)を山種美術財団へ売却し、国宝に指定されている油滴天目茶碗(南宋建窯)、飛青磁花入(元代龍泉窯)の2点や重要文化財12点を含む中国陶磁144点、朝鮮陶磁793点、ベトナム5点、日本二点など965件を住友グループから大阪市へ寄贈することになった。1976年、日本橋の高島屋でこの安宅コレクション名陶展が展示され会場に足を運んだが、大変な混雑でゆっくり観ることはできなかった。
大阪市はこのコレクションが散逸せずに永く保存して展示するために東洋陶磁美術館建設を決定した経緯がある。1982年、大阪府大阪市北区中之島に大阪市立東洋陶磁美術館は開館して、高麗青磁が最も多く含まれている安宅コレクションの一部が常設されている。
1975年、韓国漁船の網に青磁の仏像や花瓶などが掛かった。漁民が「仏像は不吉だ」と海に捨ててしまった。それが明るみに出て海底から百数十点を引き揚げた窃盗団が闇売りする事件が起きた。
これに危機感をいだいた韓国文化財監理局は大規模な海底捜査を76年から84年まで10回の調査を行った。この調査によって中国宋代から元代に造られた龍泉窯青磁や景徳鎮窯の青白磁、白磁など21000点、800万枚の銅銭、金属製品、紫壇などを積んだ船の沈没だ、とわかった。
650年もの間、水深25メートルの海底にあった沈没船の場所は朝鮮半島最西南端にある全羅南道木浦(モクポ)の新安沖で多島海の潮流が激しいところであった。中国から日本の博多経由で京都に運ばれる途中に沈没した船で発積荷木簡には「東福寺」「十貫公用」などの字が見られ、天応元年(1319)2月に焼失した京都東福寺の造営費用のために、銅銭と陶磁器などを積んでいたと推測されている。
栄山江の河口ともなる木浦は李朝代末期に開港した港町。日本統治時代には日本人街があったほど、中国、日本との交易で栄えた町であった。韓国西南海岸の海上に1890もの島々が浮かぶ多島海海上国立公園(韓国最大の国立公園)の各島々へ船が運航している木浦は、青く澄んだ湖かと見間違えるような穏やかな港。この港町で毎年春には陶磁器フェスティバルが開催されている。
扶余から務安へ行き、無地刷毛目を焼いていた古窯址を巡ったあと、務安の陶芸家が推薦してくれた木浦の港が見える料理店でヒラメの刺身をいただいた思い出がある。
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