2025年05月08日

28 支配層を魅了した須恵器の技術

          

 古墳時代の四世紀から朝鮮半島の百済や伽耶からもたらされた陶質土器の技術は、平安時代の12世紀にかけて朝廷の注文品と上層階級の貴族や社寺で使う日常生活用の器“須恵器”を焼成していた。この技術を韓国では陶質土器といい、百済土器、伽耶土器、新羅土器などといった。

ところが、日本では縄文土器や弥生式土器、土師器のことを「土器」といい、野焼き(焚火)を意味しており、須恵器は施釉せずに窖窯で焼かれた「焼締陶」または「炻器」(せっき)に分類されている。

須恵器となる陶質土器や瓦質土器のほかにも仏教や文字、画、錦、金属加工、馬具類など、さらに飛鳥寺に見られるような土木技術(百済の定林寺に類例)など新しい技術や知識を持った百済の人々が携わった。百済からの帰化人である陶部の一行は陶質土器の技術をもって河内、南河内、大和あたりの三カ所に須恵器の窯を築いたとされている。

縄文時代、弥生時代に次ぐ考古学上の時期区分となっている古墳時代は3世紀から7世紀のヤマト時代に相当する。弥生時代の終わりに土を盛った丘のような墳丘墓が造られたが、古墳時代になると方墳、円墳、そして三世紀中頃から七世紀初頭頃にかけて近畿や吉備で巨大な前方後円墳が築かれた。

前方後円墳の最古級と考えられている
奈良県桜井市にある箸墓古墳(Wikipedia)

古墳時代を象徴する前方後円墳は死者を葬る部分を円形に造られた。その前方部の方形に死者を祀る祭壇、葬列のため墳丘だといわれている。古墳時代の後期には出雲を中心に方墳が多く造られるようになる。

日本全国に20万基もあるといわれている古墳の中で前方後円墳は5000基ほど。各地の豪族が競って大きな古墳を造ったのであろう。

なかでもクフ王のピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓のひとつなっているのは大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳がある仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)を含む大阪府南部の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」である。2019年7月、世界文化遺産への登録が決定された。(国連教育科学文化機関(ユネスコ)第43回世界遺産委員会)

大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)大阪府堺市
(Wikipedia)

“力と富”をも象徴するこの巨大な百舌鳥古墳群。ここに隣接する堺市、和泉市、岸和田市、狭山市には38基の古墳が確認されており、その権力を象徴するかのように須恵器の産地として日本最大規模を誇っていた。平安時代まで続いた陶邑古窯址群は堺市の泉北ニュータウンの建設計画(1965~83)に付随する土地調査で泉北丘陵1000基以上の窯址が姿を現した。

大型古墳の埋葬に使われる副葬品として鏡、馬具、武具などともに重用された須恵器は、五世紀後半には仙台市、兵庫、三重、愛知にも、さらに六世紀に入ると九州八女市から東北にかけて、須恵器は当時の支配層を魅了して凄まじい勢いで拡がっていった。

家形容器(左)、脚付短頸壺
(和歌山市六十谷出土) 東京国立博物館蔵(Wikipedia)

朝鮮半島の百済と伽耶、新羅の陶質土器の技術を取り入れ、日本各地に分布した須恵器は古墳時代には百済や伽耶の陶質土器の器形に倣っていたが、奈良時代は唐代の壺を、平安時代には北宋の越州窯青磁などの陶器や金属器を手本にするようになった。

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須恵器フラスコ形瓶

須恵器の窯は丘の頂を煙出しから焚口まで斜面を刳り貫いてトンネルのように造った単純な地下式の窖窯。その後、丘の頂に溝を掘り、その上に竹や木でアーチをつくり、粘土で固めた半地下式の窖窯であり、どちらも全長六メートルほどのものが多い。

移築復元された大阪府陶邑窯跡(Wikipedia)

 須恵器の技法はどうなのだろう。大甕などは粘土を積上げ、板で叩きながら成型したが、小型なものは蹴り轆轤で薄造りされた。中国龍山文化の蹴り轆轤技術がそのまま伝わったといわれ、還元焼成されたその造形は金属器のように鋭いのが特徴だ。

陶邑古窯址群から出土した須恵器のヘラ削り痕を調査・研究した報告書によると、

「轆轤の回転について、五世紀代は左回転が主体、六世紀には右回転が主体となり、七世紀には右回転のみとなる」と報告されているが、これは何を意味するのだろうか。

もともと朝鮮半島からの蹴り轆轤は左回転であったはず、だが、蹴り方を変えれば時計回りでも回すことができ、当時、窯大将のような主力になる轆轤師が、自分の回しやすい制作法に則ったのではないだろうか。

 火力の圧力を受ける窖窯焼成では、砂鉄も溶かす1200度もの高温となる。灰黒色の緻密に焼き締まったボディと、轆轤によるキリっとした均整のとれた造形が可能であった。

須恵器 (径16.5  高23.8cm)

そこに燃料の薪の灰が降りかかり、高温になると器物の素地に含まれている長石を融解し、そこに降りかかった灰が付着し溶け出して、美しい「自然釉」が形成された。最終の攻め焚きで大量の薪や小枝などを投げ入れ、燻らせるので黒灰色となる。この燻らせることで器物に炭素の膜がコーチングされて焼き付いたことで水漏れ防止になった。

縄文と弥生の土器文化が一万年以上も続く長い土器時代を経てのち、轆轤とハイテクともいえる窖窯で焼かれた黒灰色や灰青色の硬質な須恵器は赤褐色をした軟質の土器より段違いに丈夫な「焼締陶」だった。

                    次回につづく

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