30万体に及ぶ備前焼の細工「子牛」が奉納されている神社が備前市吉永にある。
岡山藩は農家に牛を飼うことを奨励していた江戸時代のことで、飼い牛の病気平癒を祈願するために建立された田倉牛神社(たくらうしがみしゃ)である。安らぎ、癒しを牛に託して祈り、現在は家内安全、五穀豊穣、大願成就などの御神徳をいただている。島村光は「これが細工物の原点である」という。
20代の頃、大阪で美術を学び、前衛美術家を目指しながら、ディスプレイに使う模型を信楽土で作る仕事をしていたが、パリを拠点に活躍していた工藤哲巳 (1935-1990)の作品を見て、「自分はこの人には近づけない」と悟って現代美術を断念し帰郷した。
島村が衝撃を受けた前衛芸術家の工藤は1935年に画家の長男として大阪に生まれた。中学三年の時、母の郷里岡山に転居し、岡山県立操山高校時代には小磯良平に師事。のち新制の東京芸術大学に入学、林武に学ぶ。1962年、第2回国際青年美術家展大賞受賞によってパリに夫人とともに渡って前衛美術家として活躍した。1987年、林武から呼ばれて単身、パリから帰国して東京芸術大学教授に就任した。しかし喉頭癌を患って東京で静養していた。
島村とは九々井の登窯の完成を待って島村の土で創った 1961年頃を思わすような作品(インポ哲学)を焼くなどの縁もあったが、この1990年11月12日に結腸癌を患って亡くなった。65歳だった。
備前の細工物を目指した島村は36歳の1978年に長船町磯上に窖窯を築いて独立した。
写真家で古備前細工物のコレクタでーあった吉岡康弘と知り合った。吉岡は奇しくも工藤の高校時代の同級生であった。(古陶磁の名品と近現代陶芸家作品を対比する拙著『男の本懐』では吉岡氏所蔵の古備前「白備前瓦蝸牛香炉」(江戸中期)と島村光「青備前登窯香爐」とコラボさせていただいた。)長船での初窯から12年後、海沿いの久々井に移り、自宅兼工房を構えて登窯を築窯した。
江戸中期以来つくられてきた精緻を極めた備前細工物に惹かれた理由を「他窯の追随を許さないスーパ-リアリズムだ。限り無く魅力的なもので、自分の仕事の支えとなっている」と語っている。
少年時代、島村は暗い家の中で神棚にもあった七福神などみて、“暗いイメージのある備前焼の硬い細工物”だと想ったという。予てから私も決まりきった細工物だけが横行していることが不思議であった。現代生活にはそぐわないのではないか。可塑性のある備前の土でその殻からもっと自由に抜け出した作品ができるのではないか。
今では旅行に行くときも粘土は手放さない島村は、気になるものがあれば粘土をひねるというから、対象物の原形を捕まえているのだろう。常に心の中に“形体への創作”を持っていることが当たり前になっている。こうして伝統に拘らず具象化されている細工物の潮流を島村はリアルなやさしさと抽象的な明るいアートに変えていった。
無類の猫好き、窯場をわが物顔に闊歩する飼猫をはじめ十二支や「窯場のスケッチ・風景」と称する窯場の薪、登窯、煙など。さらにバイオリニストなどを題材に捉え、深い親しみに詩情を優しく盛りこんだ作品とした。
やや遅咲きの感も否めないが、自己実現のために備前土をひねり、島村は得意の箆使いで創り上げた。詩情さえ湛える作品の核は愛である。おのれの一心を集中した細工物を焼成するのはじっくりと焼ける窖窯を使い、良土と造形の格調を堅持している。
島村は一歩外へ出ると無精ヒゲと素足の草履、トレンチコートを羽織ってスタスタと身軽に何処へでも出没する異色の陶芸家だ。1997年、記念すべき初個展「十三支 おくれてきたねこ」(しぶや黒田陶苑にて開催)は劇的ともいえるデビューとなった。多くのギャラリ―を虜にした。独特のユーモアからのタイトルであった。
寅と似ていたからか、子孫繁栄の子「ネズミ」に騙されて十二支には入れてもらえなかったという猫である。チベットやベトナムなどでは十二支の仲間に入っているらしい。
こうして2000年には「ちいさなたからもの 秋から冬へ」、2002年「窯辺のスケッチ」、2003年「窯場の風景」。
さらに2004年には自らの造形を活かすため、窯変には頼らず平明でシンプルな土味を求めて窖窯を築窯して「はつかま-泡瓶-」を開催した。どれもお茶がおいしく淹れられそうな清らかな土味であった。
2006年「六十三の心音」、2010年「壺」、2018年「貌」など、島村の希求する遊び心があるタイトルをつけて個展を開催、どれも好評だった。
自然に感謝しながら、自然に対する畏敬の念を人一倍持ってきたからだろう。その島村の歓びの感性はじつに温かい。その包容力が隠し味となっている。初個展からの活躍は備前焼細工物の潮流を変えたといっても過言ではない。
2014年度 「岡山県文化奨励賞」を受賞した翌年、岡山市北区尾上神道山にある黒住教大教殿で立教200年を記念して2015年4月、「島村光と古陶の共演展」を開催した。その奉告式に参会したのち、黒住教宝物館での「お直会」(おならいかい)という立食パーティーがあった。島村光の穏やかでユーモアのある人柄は話相手が自然とほほ笑んでしまうほど和気藹々の会となった。
『島村光作品と古陶の鑑賞会』では李朝白磁壺のほか、「作り手の作為の無さ、てらいの無いのに惹かれる」という黒住教所蔵の古備前などの古陶磁が展示されていた。
力感溢れる古備前窯道具の陶板と深く思慮した島村光作品の対比が心に残った。
その案内状に「忘れもの」と題した島村光は、
“古いものはええなぁ”と人は言う
そんな時、私はいつも“古いものはええんです”と答えてしまう
言うまでもなく古いものには時代を超えて
生き続けてきた底知れぬ力があり
私はそんな力に圧倒され言葉を失ってしまう
一体その力は何に根ざしているのだろうか
遠い昔にあって今は無いもの
そんなー忘れもの―を捜しにタイムスリップするかのような
古陶との共演
細長い人物像をブロンズで創るアルベルト・ジャコメッティ(一九〇一~六六)や「寒山」などで知られる抽象的な陶彫を制作した辻晋堂(一九一〇~八一)らに触発された島村はその燃えるような創作力をかきたてられた。
「基本的には身近に存在するものをモチーフに考えている。姿、形を意識しないではないが、表現として心象を形にしている。そして作品に考えていることが大体はでていると思うが、時には意思を隠す方がベスト。」その集大成が2018年から発表している「貌」である。
この年の夏、細い線と線を繋いで内面をも浮かび上がる力作で‥‥まるで島村の自画像のよう。細い紐状の粘土を編んで複雑に絡み合う中で、個性をもつ人間の顔を描写している。
「思いがしっかり発酵するのを待って一気に作り上げたものだ」というが、2022年、茨木県陶芸美術館に所蔵された「貌」は島村の陶に対する情念が渦巻くような最大級の大きさで迫力ある力作であった。聞けば満108歳で亡くなられた御母堂様を想って作られたとか。思いが昂じて大作となったと。
貌にはすべて実在の人物がモデルになっているという。最初の貌はともに歩んできたK氏の肖像。
これからも自らの道を展開し、いかにも鮮やかにハッとするような創作に期待している者である。
【島村光 陶歴】
1942年
岡山県長船町(現瀬戸内市)に生まれる
1962年
浪速短期大学(現大阪芸術大学短期大学部)絵画科卒業後、工芸関係の職に就く
前衛美術の感化を受ける
1975年
近世の備前焼細工物に惹かれ、陶芸の道に進む
1978年
長船町に穴窯を築いて独立
1990年
備前市久々井に移り、登り窯を築窯
1997年
初個展「十三支 おくれてきたねこ」(しぶや黒田陶苑)
2000年
「ちいさなたからもの 秋から冬へ」(しぶや黒田陶苑)
2002年
「備前細工物に遊ぶ ~窯辺のスケッチ~」(岡山天満屋)
以後、05、07、13年岡山天満屋、17年広島天満屋で開催
2003年
「窯場の風景 −作品− 」(しぶや黒田陶苑)
2004年
「はつがま −泡瓶− 」(しぶや黒田陶苑)
2006年
「六十三の心音」(しぶや黒田陶苑)
2010年
「壷」(しぶや黒田陶苑)
2013年
備前市指定無形文化財「備前焼の製作技術」保持者に認定
2015年
岡山県文化奨励賞受賞
「変わらざるものの尊さ 島村光と古陶の共演展」(黒住教宝物館)
2016年
山陽新聞賞「文化功労」受賞
マルセンスポーツ・文化省「マルセン特別賞」受賞
2017年
島村光・金重有邦・隠﨑隆一展 岡山県立美術館
2018年
十三支 おくれてきたねこⅣ LIXILギャラリー
「貌」(しぶや黒田陶苑)
2019年
岡山県重要無形文化財技術保持者に認定される
2022年
「土を編む 島村光展」(福屋八丁堀本店)
2023年
「八十の心音」(しぶや黒田陶苑)
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